3月になって想うこと・・・。

今日であの大震災からちょうど2年。

ちょうどあの時間、私は小学校にいました。

息子のクラスでの懇談会中でした。

 

グラグラ揺れだし・・・。

次第に揺れが大きくなり・・・。

真っ先に息子の顔が頭をよぎりました。

どのお母様方も同じだったと思います。

どこにいるの?

幸い、息子は学校の校庭の真ん中に先生の指示があり座って避難していました。

 

あの震災で多くの方が亡くなり、私たちは多くの教訓を学びました。

 

私も、あの震災で知り合いを一人亡くしました。

従姉妹の友人で、私も何回かお話をし、お食事もし・・

結婚するよと彼を紹介してくれました。

とても優しい性格のよい子で結婚後は男の子一人出産し、神奈川に住んでいました。

あの震災で、息子が心配になり、息子を学校へ迎えに行く途中・・・

トラックにはねられ、亡くなりました。

あの時はみんな気が動転していて、信号も消え、頭の中が真っ白で・・・。

私と同じ歳・・・。

幼いわが子を残して天国へ旅立った彼女の気持ちを考えると今でも涙が溢れます・・・。

 

そして昨年の3月、私は祖母を亡くしました。

とても可愛がってくれた大好きな大切な祖母でした。

94歳でしたので健忘症もあり、私のことは忘れてしまいましたが、

祖母の最期に立ち会えて幸せでした。

 

その祖母の1周期が昨日、九州佐賀県の唐津であり、親戚一同集まりました。

1年過ぎて、近況報告・・それぞれが話し、みんな口にするのは健康、そして親孝行。

祖母の死を境に

「親孝行をしなくては・・今しかない・・と

1月に1回は必ず実家に顔をだすようになりました」と話す親戚もいました。

 

そして親戚いちばんの年長者が

「これからも、こうしてみんなで集まって助け合いながら生きていきましょう」

と短いけれど心に響く挨拶をされました。

 

生きている限り、亡くなった方の想いを胸に抱き、生きてる人間同士で協力し合い、

助け合い、今日一日を大切に精一杯生きていこう・・

と改めて感じることの多い3月です。

 

 

 

唐津城・・・黄砂とPMで景色がかすんでいました。
唐津城・・・黄砂とPMで景色がかすんでいました。

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コメント: 1
  • #1

    おさるんるん (月曜日, 11 3月 2013 10:45)

    今日で震災から2年。まだ行方不明の方がおられ、避難されてる方も大勢ですね。
    さらに原発事故の収束はいつになるのか見当もつきません。
    忘れることなく生きていかないといけないなと思います。

    3月は特別な季節ですね。
    今年は娘が高校卒業しました。
    中学のときの先生が「卒業はめでたい。それは節目だからだ。節目に人間は成長するからだ。」と言われました。
    卒業ときくといつも思い出します。
    娘の成長を嬉しく思って笑顔で新生活へ送り出さないと!